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apache ws-fxもglobusもtangoも眺めたわけですが、WCFのanonymous sslnegoとinteroperabilityを実現している実装なんて何一つ無いでしょ…
二階建て制度で現在とほぼ変わらない業務が期待されるSARAH
この前のエイプリールフールネタ1へのブクマコメントで、ロージナ茶会からSARAHにもという声が見られたわけですが(w、SARAHには将来的には冗談でなくブレーンが1人くらい必要になるかもしれません。(もちろんJASRACも同様です。)
事前徴収を前提とする現在の補償金運用は、著作権法よりも二階建て制度における商業コンテンツ層に適合的なものです。二階建て制度が始まった後、SARAHはその組織構成はほぼそのままに、業務を主として二階建て制度の内容に切り替えることになるでしょう。
芸術作品に対する補償金はなおも必要となるでしょうが2、事前徴収というスタイルで徴収された補償金の分配対象は商業コンテンツとし、芸術作品に対する補償金はその性格に鑑みれば、日常的に必要とされることではなく、事後徴収が相応しいとするのが、制度的に筋の通った考え方です。
もちろん、二階建て制度の運用開始以前に、事前徴収運用の正当性に改善が見られず制度そのものが廃止されるなんてことになれば、話は別ですけど。
代理母について part I (たぶん)
最近、電車の携帯電話マナー神話に関する情報3を探していた時に、初めて http://simple-u.jp/ という日記サイトを見た。で、最初は、これは面白いと思ってフツーに読み続けていたのだけど、気がついたら2日かけて全部読んでいた。
それはそれとして、先月最高裁判決が出た向井亜紀の代理母関係は、魑魅魍魎のような論争の世界があって、なかなか面白いと思う。まずは[Wikipediaで](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%A3%E7%90%86%E6%AF%8D%E5%87%BA%E7% 94%A3)その一端を覗いてみると良いと思う。
個人的には、代理母の合法化議論については、特にいずれかを支持する気にもなれない(ただし先月の最高裁判決は子供の権利を無視している点で妥当でないという立場に立つ)が、どちらの立場の主張にも違和感があるので、雑感をまとめてみたい。ちなみに僕は基本的に素人である。
「人間として許されない行為である」という見解
この見解には何ら論理的な背景が無いので、むしろ宗教的な主張だと思われるが、最高裁は、自らの信条に基づく自己決定の意思表示を、生命倫理に優先するものと判断している(輸血に関するエホバの証人事件)。一般に自己の宗教観は他人の自己決定権に優先するものではない(自殺は自らに対する殺人罪としては評価されない。自殺関与は「他人の」生命であるからこそ問題になる)。尊厳死に関する判例でも、合法とする要件を列挙していて、違法扱いはしていない。
ちなみに自己決定と書いているが、正確に言えば決定権者の意思決定といったところだろうか。具体的な当事者関係を意識した議論は、こんな宗教レベルの設問を越えたところでなされている事柄だ。
「母子関係は分娩の事実によって生じる」判決の意味
代理母問題で常に意識しておくべき事は、これは生殖医療の技術とは切り離して考えることができないから、常に同時代的な判断が必要とされる、ということだ。その観点では、最判昭和37年4月27日民集16巻7号1247頁については、この代理母問題について援用されることには疑問がある。この事件は、母親が非嫡出子を認知しなかった(!)ことを争ったもので、母子関係は分娩の事実によって明白に生じるとしたのは、非嫡出子の(母子)関係の存否に関連した事項であり、そもそも代理母技術が存在しなかった頃の傍論にすぎないのである。
法律学の世界では、人の始期に関する議論は常に流動的である。この問題に関しては試験管ベビーについても言及している2chの「背徳の刑法学」が秀逸なのでオススメ。
黒人差別議論
黒人差別に関する議論は、日本だと意識しにくいが、(a)商品化された母体機能に価格差があること自体が問題になるという点と、(b)価格に表れていない pricelessな部分(たとえば白人に対する需要の集中)で問題になるという点は、別々に考えるべきだと思う。(a)については、フィリピンの臓器売買のように、認可機構を設けて価格を統制あるいは単純に有償契約を違法化すれば、解消する問題ではないかと思う。
(b)は、直ちに代理母を禁止するか否かという問題というよりは、代理母の選択を規制(市場介入)するか否かという問題であって、やや考察に困る。だが、差別議論はそこまで問題視しているわけではないように思うし、これを問題視するなら、「眼球のくじ」ならぬ「代理母のくじ」が必要だという結論に至るようにも思われる。代理母を禁止するための全面的な理由とするには弱すぎるように思うし、少なくとも現状では代理母に高度の信頼関係が求められるので、代理母の選択権は依頼者にあることになるだろう。
黒人・白人を、富裕層と貧困層に置き換えれば、日本でもリアルな問題として映るかもしれないが、代理母によって格差拡大が促進されるという側面はほとんど無いように思う。つまり、非代理母であっても人間(あるいは日本人)はもともと同程度の経済層の間で結婚し家庭を構築しているはずで、これを規制することには無理があるし、代理母に限って規制すべきであるという理由は無いように思う。
障害者差別議論
ここには次元の異なる複数の問題が含まれていて、Wikipediaの記述のように全部まとめてしまうことには問題があると思う。
- (a)まだ人になっていない胎児の時点で障害をもつ子を排除することの当否
- (b)障害を持つ子を依頼者が引き取り拒否する場合の法的評価
(a)は、劣悪遺伝子排除法4の当否ではない。既に人として法的に人格を認められている障害者は、その人権を非障害者と平等(平等の実質についてここで立ち入る必要は無いだろう)に尊重されて然るべきだと思う(=劣悪遺伝子排除法は妥当ではない)が、障害がある胎児を中絶することが障害者の差別に繋がるという考え方は、正直理解に苦しむ。そもそも、着床後所定期間を経過する以前の段階では、非代理母における中絶も自由であり、その理由は特に制限されているわけではない(すなわち選択が許される)のだから、代理母に限って規制すべきだという理由にはならないだろう。
そもそも、障害胎児を中絶できるという立場は、障害者が人格的に劣っているという認識ではないように思う。障害者がその障害によって非障害者よりも活動の制約を受けていて、障害をもつことは何らかの意味で「不幸」をもたらしているという事実は、むしろ認識しなければ、まずい結論(=特別な支援は必要としない)に至ってしまうだろう。
以上をふまえて、障害とか父親不明といった事情で、胎児が生まれたら「不幸」になるとあらかじめ分かっている場合は中絶しても良いという考え方は、「父無し子を産みたいなんてとんでもない」みたいな保守的な考えに見えるかもしれないが、これは母体保護法という立法によって、制度的に是認された立場だと思う。
障害胎児は中絶「しなければならない」という立場があるとしたら、それは障害者差別に繋がると評価しうると思うが、全当事者の同意を無視して医師が中絶しても良いということにはなっていないと思う。ちなみに、障害胎児の診断は、第一義的には母体保護の観点で必要となると僕は理解している。
(b)については、意思主義に基づいて考えれば、代理母側に原因があるのでもない限り、依頼者が引き取るものとすべきであろう。といっても、これ自体はそもそも代理母契約を契約法の枠組みで考えるか、家族法の枠組みで考えるかという問題とも関連するものなので、項を改めて考えたい。
たぶん続く。
Mono + FastCGI
僕らのお気に入りのSoC proposalのひとつがコレだ。開発にどれくらいかかるのか、僕には見積もれないが、FastCGI経由で使えるようになれば供給も拡大するのではないか、という読みは、筋が良いなと思う。
コメント
atsushieno — 04/16/2007 15:02:58
はじめまして。僕が(まだ)書いていなかった法律上の整理をいくつかしていただいてありがとうございます。
まず人身売買については(普通は憲法ではなくこどもの権利条約の文脈で議論されるのだと思いますが)、そもそも代理母が産んだ子の法律上の親は代理母契約者ではなく代理母であるという前提が無ければ成立しない議論です。人身売買が問題になるのは「人」の譲渡に関する部分であり、人になる以前の契約とは内容が異なります。
母子関係が分娩で「推定」されることには僕も異論はありません。ですが、推定と決定は違いますから、それはここでの論点とは関係がありません。(推定規定の意味はお分かりですよね?)
身体の不可侵という観点は確かに存在しても良いですし、熟慮すべき事項であると思います。ただし、その内容は無批判なものではないはずです。臓器移植などは現実に認められていますが、これと代理母に違いがあることは論理的に説明されなければならないと思います。
ちなみに契約法での枠組みが金銭授受を前提としているというのはよく分かりませんでした。手術等の諸費用ということであれば、それは金銭授受かもしれませんが、それが(医療の平等な実現以外の点で)具体的な論点になっているとは思えません(通常は有償・無償の区別は代理母に対する報酬の有無をあらわしていると思います)。
Amina — 04/16/2007 14:02:05
代理母関連で探し物をしていて偶然こちらに寄らせていただきました。私は、日本の民法が分娩による母子関係推定を規定するのは、決して時代にあっていない、とは思いません。代理母を容認する国や、時代社会背景を鑑みて何度も民法改正している国でさえ、最終的に母子関係推定は分娩による、と結論付けている国が一般的です。結局どんな考え方を模索しても、これが一番簡単かつ確実だからです。恐らく今後日本で法改正がなされても、この点が変わることはないと思います。代理母の是非に関しては、私が今いる国では禁止ですが、これは「身体の不可侵」の観点から人権法の枠組みで議論します。日本だと憲法学でしょう。障害者の扱い云々も人権法の分野です。家族法はありえますが、契約法での枠組みは、金銭授受存在がある事が前提です。代理母契約を契約法の枠内で考えることは、人身売買を憲法が認めていない段階で不可能だと思いますけど。