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ものがたり
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2007-04-28

最近複雑な事情wによりこっちの更新が滞っているのだけど、とりあえず書きためてあったネタから。

ASFとGPLv2の相性に関する考察

ふと気になることが出てきてAPL2.0とGPL2.0の互換性問題を調べていた。僕は知らなかったのだが、「互換性がない」というのは、争いのない事実ではなく、単にFSFの見解がより注目されていたから知られていただけ、ということのようだ。FSFの見解に異を唱えるASFの主張は↓にある。
http://www.apache.org/licenses/GPL-compatibility.html

おれたちゃ特許なんてもってないから、grantするライセンスも無い、だからこの特許許諾終了条項には意味がないからGPLとは矛盾しないんだ、とかいう話。なるほど。それはAPLではなくASFのAPLなソフトウェアに限られた話でしかないわけだが(ここ重要)、そうだとしたらそれは確かに許諾内容においてはGPLとは矛盾しないだろう。

問題は2つ考えられる。

(1)この特許許諾条項は誰のためにあるのか。FSFが著作権を有する著作物以外でもGPLが使われているのど同様に、APLはASFが著作権を有する著作物以外でも使われているから、その事実だけを取り出すと不自然ではないのだが、しかしそもそもAPLはASFのために書かれたライセンスなのではないか、ということである。ただしこれは(a)ASFが一般的な「望ましい」ライセンスモデルとして包摂しているにすぎないとか、(b)そもそも単にIBM Public licenseを継承したものだから入っているに過ぎない、という再反論が考えられる。そして多分(b)が正解だと思うが、実態を反映していない場合の問題があるので後でまた触れる。

(2)GPLが禁止しているのはGPLと矛盾する許諾内容(実態)に基づいてGPL下の著作物を配布することではなく、GPLと矛盾するライセンス規定(文)に基づいてGPL下の著作物を配布することである。

法律上は、権利外観法理に基づいて、たとえ実際に特許が存在した場合でもその権利許諾はGPLに基づいて実施されなければならない(revocation の禁止)ということになるだろう。が、(2)で問題になるのはそれよりもむしろ、GPLな開発者にはAPLなソフトウェアと結合させて動作させないことについて、独占禁止法(不当取引制限や不公正な取引方法)に牴触しない合理的な理由が果たして存在するのかという問題がある。FSFも「これが実質的に問題になる事態は無いだろうが、矛盾は矛盾だ」と主張しているわけだから、実際に実質的な問題は無くて、結合配布を禁止する合理的な理由も存在しないように思われる。

つまりどういうことかというと、GPLとAPLの非互換性問題というのは、単に「ためにする」ライセンス非互換問題にすぎないのではないか、ということである。もちろん、GPLでソフトウェアをリリースすることに問題があるわけではなく、ASFのAPLなソフトウェアとGPLなソフトウェアを結合させて配布させる行為に対して、GPLソフトウェアに基づく差止請求を行うなどの積極的な排除行為が行われた時点で問題になる。

で、先送りしていたASFの上記無特許宣言と実態が矛盾していた場合の処理だけど、
(x)FSFの立場を是とするなら、ASFの宣言は内容的に誤りがあり、そのような特許不存在宣言には何ら意味がない。従って、APLに含まれる特許許諾終了条項にはなお意味があり、ASFは特許防衛することができる。
(y)ASFの立場を是とするなら、(ASFの思惑いかんにかかわらず)同宣言は権利外観を作出しているのだから、特許権の存在は否定されることになり、ASFは特許防衛することができない。
という皮肉っぽい帰結になると思う。

実際のところ、ASFの上記ステートメントは真実ではない可能性は高いような気もする。Webサービス関係なんかIBM patentsの塊になっていてもおかしくはないように思えるからだ。とはいえ、特許を有しているか否かと、その特許権を行使できるか否かはまた別の問題で、ASFで実装が提供されている特許については、既に防衛の意味も含めて行使できない事情があるかもしれない。いずれにしろ、僕はASFが望んでいるのとはやや別の意味でASFの立場を支持しているのだろうなと思う。

代理母について part IV (final)

リベラリズムでありかつ批判的な立場

前回までの説明では、基本的にはリベラリスト対パターナリストという構図で大まかに描いたのだけど、リベラリストであれば直ちに代理母賛成論に至るかというと、必ずしもそうではないし、契約を(有償・無償いずれにおいても)有効としても、その効果をどう評価するかについては争いがある。

まず、子の最善利益が、必ずしも女性の利益(自律的主体性の獲得)と一致しないという点が挙げられる。代理母契約(と潜在的な監護権者紛争)の存在が子に与える悪影響を重視して、代理母契約は一切無効とすべきだとする主張もある。ただし、その時に子に生じる不利益は、養子縁組や離婚に際して生じる監護権者紛争の場合と本質的には違いは無く、代理母契約のみを特別扱いする議論には疑問が提示されている。

また、功利主義的に考えるとしても、代理母契約で交換される利益は正当なものであるのか(功利主義の観点で評価すべき利益と言えるのか、社会的効用の最大化は得られるのか)、という議論もある。利他的感情の満足というのは自己欺瞞あるいは誤謬に基づいているのではないかという議論である。もっとも、代理母反対論者であるRadinも、経済的に苦しい代理母にとっての経済的利益は考慮の対象と見なしているようだ。

しかし、やはりというべきか、どちらかと言えば、リベラリズムに対する批判としては、相対する平等保護原理に基づいて代理母を(禁止ではなく)規制すべしとする考え方のほうが有力である(Cas Sunsteinなど)。平等保護原理に基づく批判としては、性的平等(たぶん男女平等というとニュアンスが限定されてしまうためか、吉田同著でもこう記述されている)だけでなく、医療の公平な割り当てに関する問題もある(はずだが、吉田はこれが議論されていないとしている)。

代理母側を特別に保護すべき要因

ここまででは、前半をwikipedia、後半を吉田本に沿ってまとめるというアプローチが良くなかったのか、代理母本人の視点で生じる問題点についての議論が抜けていた(しかも重要であるはずな)ので、ここで触れておきたい。

(1)翻意の問題。通常の契約法の考え方であれば、胎児を管理している代理母側の責任を強くすべきであると考えられる(僕の1回目の思索もこれに基づいている)が、「やっぱり自分の子であってほしい」という翻意は母性本能に基づくもので、法律上の保護に値するのではないか、という議論である。非常に規範的で評価に困る。ただ、生物学的本能に基づく欲求は、それだけで直ちに全て正当化されるわけでは無いということだけは言えよう(2chで、レイプは生物学的に正しい行為などと言っている連中を、まともにとりあう必要は無い。1

代理母が最初から自分の子にするつもりで依頼者に遺伝子提供させる行為も想定できないわけではない(遺伝子売買にも繋がる問題)。悪質な欺罔行為の処断はどうなるのだろうか。詐欺罪と評価するためには遺伝子が財物と評価される必要があろうが、現状では胚は人間の生命のもとであるから財物ではないという解釈が通説的である(手術費用は代理母に渡るわけではないが、その支払は財産的利益の移転として認められるだろうか? 無償代理母 - 認める場合 - にはさらなる財物の移転が無い)。個人的には胚を財物扱いすべしとする佐伯仁志説2を支持したいが、ではどこから財産的保護に値するかと言われると困惑する。

また、代理母出産を禁止しないとしても、貧困女性がその支払い能力を超えるような大きな債務=リスクを負わせてしまうことは回避するような制度設計が、求められると思う。すなわち、「損害」賠償をおそれて代理母出産契約の取消を躊躇させられるような事態が生じることは望ましくない。

(2)善管注意義務の問題。通常の胎児の母親であれば、健康診断や喫煙制限などの制約を自発的に受けることになるが、代理母の場合にそれがどこまで認められるか、あるいは全く認めなくて良いのか、という問題がある。最大限優先されるのは代理母の保護であることに争いはないであろうが、子の生命が代理母の意思に優先するとも限らないように思える。

小括、もどき

ここまでの議論の枠組みは、ほとんど吉田同著に基づいているが、理論的状況は何となく分かった(混沌としていることが分かった)ので、以上をもとに、ありうる法的な対応を検討してみたい。しかし、ある程度は覚悟していたけど、ここまで長々と書いても、やっぱり結論らしきものは出せなかった。そもそも素人が思いつきで書けるネタではなかったということだろう。今これ以上文を重ねてもgdgdになるだけなので、この辺で簡単なツリーを書いて終わりにしておきたいと思う。

吉田は、貧困女性の立場に鑑みて、代理母に対する科刑は望ましくないと説くが、これは僕も賛成する。期待可能性が低いし、禁止規範として押しつけられるものではないように思う。医師については、テクニカルな意味ではより高い規範意識を要求することが出来るので、もしそのような禁止規範を認めるのであれば、刑事罰の対象とすることも無理ではない。

いずれにしても、代理母問題は、所有権という概念が、対立する人格権などの兼ね合いでいかに危ういものであるかが、ハッキリと見てとれる、ということが伝わっていれば、僕がこれを書いた目的はだいたい達成できている。

Footnotes

  1. 僕のスティーブン・ピンカー(心の仕組み)の理解によれば、生物学的に言えば、女性が出産にかけるコストは長期であり、男性のそれは短期であるから、女性は生物学的にも慎重であり、男性に対して優位な立場で取引を行ってきた。従って、生物学的にというのであれば、代理母に優位な立場を認めるというのが筋であるように思う。

  2. 「理論刑法学の最前線II」など。岩波書店のサイトでも読める部分に書かれている。


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