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ものがたり
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フィルタリングに関する「法案としての」対案

高市案に多くの問題点があることは確かだが、何かしらの立法で実効的かつ問題のないフィルタリングを実現するために積極的に立法すべきであるという立場は、なおあり得ると思う。というより、僕自身はどちらかと言えばそのような立場であるから、法律化された対案が必要だという話になれば、その基本的な方向性も積極的に示すことが出来る。

フィルタリングは時代の流れとともに廃れていく可能性も大いにあるから、完全に義務化してしまう高市案はセンスが悪い(というか多分情報化社会に対する反動なんだと思う)。上記の法案構成では、そもそもフィルタリングは青少年保護という目的に対する一つの方法として例示されているに過ぎないので、フィルタリングの時代が終わればこの案も自然と役目を終えるようになっている。

あと、この構成なら、フィルタリングがそもそも好ましくないという立場でも、ぎりぎり許容できるかできないかくらいのラインではないかと思う。

フィルタリング自主規制団体というのは、もちろんEMAを意識している。

独占禁止法上の規制というのは実際には競業者が居ないと事件性が生じないので、やや危うい気もする。いっそ届出制にしてしまっても良いかもしれない。

もっとも、こういう法律はあえて作る必要はないのではないかという意見もMIAUの人たちの一部からは受けている。彼らの言う通り、自主規制ベースのモデルは対案として十分に機能するし、「対案」は必ずしも法律の形になっている必要はない(対案厨になる必要はない)。


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