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ものがたり
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2009-01-15

Mono 2.2 released

予定より1ヶ月くらい遅く、でもわたしの予想よりは早く出ました。
http://www.mono-project.com/Release_Notes_Mono_2.2

今回の大きな変更は

あとは、小さいところでは、クラスライブラリの最適化やASP.NET Routingなどもあります。

2.2のブランチは11月で、これは実質的に2ヶ月以上前のコードベースです。それ以降のバグフィックスは、近いうちにブランチされる(!)2.4で直っていることでしょう。

著作物の広汎な認定は一方で表現の自由の拡大に貢献する

かつて、特に米国のDeCSS事件などを受けて「コードは言論か?」という命題を巡って議論が起こったことがあったけど、日本ではごく自然な法解釈としてコードは表現の自由の対象として扱われなければならないということに気がついた。

第二条 この法律において、次の各号に掲げる用語の意義は、当該各号に定めるところによる。
一 著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。

表現でないものは著作物にならないし、プログラムの表現は表現であるから、すべからく表現の自由の対象となるはずであり、これを制約するには厳格な基準を満たしていなければならない。

もちろん、そのために著作物の範囲が拡大されることを歓迎することは全くないが、上記の事実を、ネットにおける表現の自由を守るための、ひとつの理論的枠組として活用できればと思う。


コメント

atsushieno — 01/19/2009 11:57:51

おっと、すべからくは不適切ですね。浅学なもので誤用であると聞き覚えのある言葉でもつい忘れて使ってしまいます。ありがとうございます。

本題ですが、わたしは著作権法が憲法21条における表現の自由を守るために制定された法律であるとは書いていません。そのこととわたしが本文で書いたことは、それこそ別問題です。
わたしが書いていることはもっと散文的な事実であり、文理解釈上当然のことを書いているのです。
ある法律上の語句の解釈を巡って、たとえば「人」の解釈を巡って、複数の法領域で適用範囲が異なることはあり得ます。しかしそれらは、字面のみでは判断できない解釈の余地があるが故に争いがあるのです。
プログラムが著作物であり、著作物が「表現」であると明記されている以上、それが「表現」の自由における「表現」に含まれないと解釈できるほど、「表現」という語句の解釈が分かれる余地は無いように思います。

atsushieno — 01/19/2009 11:58:55

というわけですべからくの周辺は文面を微妙に修正しました。

Jiyu_K — 01/19/2009 07:29:57

こんにちは。
GPLv3の特許条項に関しての研究をしている者です。
GPLv3に関するコラム(2007-04-03)、大変参考にさせていただきました。研究の参考とさせていただきます。

さて、本項目についてですが、「コードは表現の自由の対象となるか」という命題を考えるについては、日本国憲法第21条第1項(以下、憲法21条)をまず見なければいけないのではないでしょうか。
著作権法の目的はあくまで「著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与すること」(一条)であり、「(著作者、あるいは一般国民の)表現の自由を守ること」ではありません(もちろん、著作権法の規制により結果的に表現の自由が守られたり、著作者が自己の表現の自由を守る目的で著作権法を行使することはあるでしょう)。
したがって、「著作権法上の著作物の定義」と、「コードが表現の自由の対象となるか」は(全くとは言えないが)別問題だと私は考えるのですが、いかがでしょうか?

#それと、「すべからく」の用法を間違えておられませんか(「全て」という意味で使われているように読めます)?
#私の読解力不足だったら申し訳ありません。

Jiyu_K — 01/20/2009 00:54:25

早急なご返答ありがとうございます。

コードも著作権法上の「表現」として保護するようにすれば、
少なくとも著作権法上の侵害に対しては法的な防御力を持つことになるので、
(一般的な意味の)表現の自由を拡大する結果となる、といった解釈でよろしいでしょうか?
そうであれば私の読解力不足でした。

#余談ですが、私は文化的ないし機能的に意味のある文字列であれば、憲法上の表現の自由は適用すべきだと考えています。
#(確か)伝統的な理解では、政治的な意味を含意した表現、というのが念頭に置かれているはずですが、そのように「表現」の定義を狭めるのはいささか前時代的な気がします。

atsushieno — 01/20/2009 09:20:08

なるほど古典的理解では表現の自由の範囲はもっと狭かったこともある、というそういう問題意識があったのですね。その観点では、わたしは完全にモダンな立場(たとえば猥褻表現の規制については「猥褻は論外だから規制は当然」とするのではなく「表現であることには間違いないから規制する理由が求められる」考える)に基づいて書いていました。


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