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ものがたり
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2007-05-13

二重取りの理論的位置付けについて

id:inflorescencia:20070513:1179004233 のネタ。コメントに書こうかと思ったけど長くなったのでこちらに。

inf.さんの話の立て方は、譲渡権が消尽するのは二重取りだからというのに、貸与権は二重取りを前提にしているじゃないか、そもそも二重取り禁止の正当性は何なんだ?…という流れになっているのだけど、問題は二重取り禁止の論理の正当性にはないように思う。同一の金銭債権の多重取りは、普通に考えれば不当利得だ。

で、そもそも二重取りに当たるかどうかという点が問題になるが、同エントリの冒頭にある「その物については目的を達成して権利が尽きた」という一節が全てを物語っていると思う。貸与と譲渡の大きな違いは、所有者が著作権法上の用益を保持しているか否かにあるわけで、譲渡については既に複製物取得にかかる著作権的な対価を取得し目的を達成していることになる。譲渡品を貸与に使用すれば、新たな対価請求の必要が生じるけど、これも譲渡権のみが消尽することと整合する。

ここには、上記エントリで検討されている、入手の容易性とか、複製物の毀滅といった点は、判断内容として含まれてこない。(というわけでその辺の混み入った判断について、僕は言及しないw)

ちなみに、中古販売を擬態としたレンタルショップ(期限付き買い戻し条件のあるようなやつ)は貸与権侵害扱いされてきた。

で、問題の本質は何なのかというと、単純に法の不完全性にあって、たぶんそれはむしろ在ることで現実とのバランスをとっているのではないかと思う。書物における著作物の有体物的性格が、変わった気はそんなにしない。非書物については変わってきているけど。

ロボットと人権

しばらく前に(そうなる予定は無かったのだけど)、代理母についてちょろっと調べたりしていたのは、かつてロボットの人権がどうのこうのというニュースがあったのと関係しているのだけど、まだその本題について書いていなかった。で、何かしらまとまった内容の物を書こうと思ったのだけど、論点が多すぎてまとまらない。というわけでスクラッチだけ書いて置いておきたい。考えがまとまったり変わったりしたら、後でまた書く。

ロボットの権利と義務に対する規制の可否

ロボットにかかる法律の問題として、よく言われるのはロボット三原則で、これはフレーム問題に直面するから実現は不可能だ…というところまではよく言われることだと思う。だが、ちょっと考えてみれば、人間に対する規律である法だって、実際には同様の問題に直面しているはずで、日本人も103条の憲法のみに縛られているわけではない。大雑把な行為規範としての規則には、なお存在する意味がある。

さて、ロボットに権利が認められるとしたら、どのようなものがあるだろうか。

権利の主体

普通に考えたらロボット本体であろう。しかし全てについてこれが当てはまるのか。実は創作者だったり設計者だったりしないだろうか。ロボットがたとえば著作物のような存在であれば2、たとえばロボットの人格権について論じている人間は、実は創作者に特別な権利性を見出しているだけかもしれない。そのような権利議論は、特にその背景となる権利の正当性について、特に慎重に見極める必要がある。

創作者はどのような立場とみなされるのか。ロボットが人間に近い存在であるとすれば、創作者は単なる親のようなものであって、むしろ創作者に帰属する権利は少なくなるはずである。たとえば親が子を殺害してはならないように、創造者がロボットを破壊する行為は禁止されるし、部品=身体能力を奪う行為も禁止されるはずだ。あるいは、子供が親のおもちゃでないのとは異なり、ロボットは創作者のおもちゃとして扱われるのかもしれない。胚について一部有力説が主張するように、生命性を肯定しつつ財物として扱うのか。かつての奴隷制度(観念するのが難しいが)のように人権と所有権を並列的に認めるのか。

創作者という定義も一枚岩ではないであろう。AIの設計者と部品の設計者、実装者は現代的には異なることが多いはずだ。ロボットの単なる工場生産者に何らかの権利を認める意義は無さそうだと思う。

Footnotes

  1. これは金銭を代償に性的に搾取されやすい女性の自由を保護するというものである。歪曲した性的嗜好を「矯正」するという意味でのパターナリズムは刑法上観念されない。

  2. このような法律が議論される時期に至ってもなおプログラムが著作権法の対象であるような後進的な未来社会であったとして


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